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2011.10.28 update.

新聞を手掛かりに震災後を生きる

和合亮一 | 詩人

詩人和合1 「福島で生きる 福島を生きる」。和合さんの詩「決意」の一節だ。
3月11日に起きた東日本大震災後、インターネットのツイッターに連日投稿した詩が、大きな反響を呼んだ。地震、津波、そして東京電力福島第一原発事故に苦しむ福島県。そこに生きる「私」の立場から全国に言葉を発信した。
地震の発生直後は避難所で過ごした。2、3日で元の生活に戻ると思っていたが、事態の深刻さを新聞で知る。原発建屋の爆発は映像で盛んに報道されたが、状 況が明確に分からない。そんなとき、全体像の把握に役立ったのは新聞だった。「見出しで整理され様々な情報が載り、避難所でも皆、新聞を読みたがってい た」
後日、相馬市や南相馬市の避難所を自ら取材した際にも、新聞販売所に行列ができたと聞いた。あらゆる物資が足りない中で一番欲しいのは新聞だと話す知人もいた。
3日間の避難所生活の後、ガラスが散乱した自宅に戻った。家族を避難させた一人の部屋。物資の不足と放射能の恐怖におののきながら、表現者としての衝動に駆られ、詩を書き始める。
新聞販売所から、ガソリン不足のため3月17日以降の配達ができなくなると連絡があった。「悔しそうな、済まなさそうな様子が印象に残り、詩にもしました」。新聞が届かない日は不安を感じ、販売所に取りに行ったこともあった。
原発事故の影響は長期に及ぶと予測され、人々の生活は回復していない。「それぞれの人が自らの立場で、これからの生き方を模索しなければならない」。その手掛かりを得るために、「公」のメディアとして多様な考え方を示す新聞は欠かせないと語る。
新聞を「一日一日を記した大きな書物」と例え、「ネットでなく、新聞というモノと向き合いながら考えることは大切な営みだ」と強調した。震災で詩作にも変化があり、新聞記事をもとにした作品も生まれた。「新聞を頼りに生きる自分たちがいる」という。
さらに、新聞に二つのことを求める。まず、情報の網からこぼれ落ちそうな現実を記録すること。例えば、全村が計画的避難区域とされた飯舘村は、今どうなっているのか。「僕がツイッターで書くことはできるが、新聞による公の表現でこそ、より強く伝わる」
そして、ツイッターのような登録者間の交流にとどまらない、新聞のすそ野の広がりを生かしてほしいという。「新聞は皆が参加する広場。投書欄だけでなく、取材に応えることも参加の一つの形だ」と考えている。
紙面を読む親の姿を「格好いい」と感じた、子どものころからの新聞ファン。福島の再生に向けて、新聞に期待を寄せる。

PROFILE和合亮一

第4回中原中也賞(99年)などを受賞した現代詩の旗手。高校の国語教諭を務め、また、エッセーやラジオ出演でも活躍している。東日本大震災を受けて刊行した詩集『詩の礫』『詩ノ黙礼』『詩の邂逅』が話題。

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