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2017.11.16 update.

流失の自宅跡 育つ夢

読売新聞大阪本社 | 2017年9月4日掲載


◆紀伊水害6年 21歳、復興願いキクラゲ栽培 母と祖母に「見守って」 

 崩れ落ちた土砂に襲われた地は今春、復興を願う新たな特産品づくりの場になった。計88人の死者・行方不明者を出した紀伊水害から6年となった4日、母と祖母を亡くした山本真耶さん(21)が、和歌山県田辺市伏菟野(ふどの)の自宅跡近くに立つビニールハウスで2人に誓った。「地域のために、前を向いて生きていきます」――。

 ハウスを一歩出ると、コンクリートに覆われた山の斜面が見える。6年前の9月4日未明、高さ約110メートル、幅約200メートルにわたって発生した「深層崩壊」の跡だ。当時の自宅は約40メートル流され、祖母・正江さん(当時69歳)と母・郁代さん(同38歳)が遺体で見つかった。

 山本さんは当時、高校1年生だった。あまり話す機会がなかった祖母。反抗期でケンカばかりだった母。もっと近くにいて、素直になればよかった。当初は現実を受け入れられず、後悔ばかり募った。

 残る家族3人はやがて県内で隣接する上富田(かみとんだ)町に転居。高校卒業後、母と同じホテルの清掃係としてがむしゃらに働いた。「頼りになる存在だった」。周囲から母のことを聞くたび、背中を追う自分に気がついた。

 「キクラゲを作らんか」。父を通じ、かつて近所に住んでいた打越さとみさん(48)から誘いを受けたのは昨年秋のことだ。伏菟野は3年がかりで再整備されたが、約180人いた住民は3割近く減り、地域の活性化が課題になっていた。

 キノコの一種で食材として使われるキクラゲは、湿度の高い地元の環境が適しているという。生産組合を設立し、特産化を目指すとの提案に、父は水田跡を用地として提供すると決めた。「伏菟野のためになるなら」。山本さんは仕事を辞めて飛び込んだ。

 生産組合の組合員は打越さん、山本さんら計4人。復興を願って「夢のきくらげ」と命名し、今年3月から栽培を始めた。

 今は上富田町から毎日車で40分かけてハウスに通い、菌床に異常はないか見回り、検品や乾燥加工もこなす。3500の菌床から1日20~30キロを収穫し、地元の直売所やインターネットでの販売も軌道に乗ってきた。

 忌まわしい被災現場は希望の地になった。母に心の中で語りかけることといえば、キクラゲのことばかり。働き者だった母も祖母も、きっと応援してくれると思う。「全国に売り出して復興のシンボルにしたい。この場所で頑張るから、見守っていてね」。そう願いながら、この日も収穫作業に汗を流した。

図=紀伊水害の主な被害と死者・不明者が出た自治体
写真=自宅跡近くでキクラゲを栽培する山本さん。6年前に「深層崩壊」が発生した後方の山肌は対策工事が行われた(4日、和歌山県田辺市で)=吉野拓也撮影

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VOICE!安黒翔太 25歳 会社員 兵庫県

 山本真耶さんは、高校一年生の時に母や祖母、そして住み慣れた家をなくした。高校生の頃といえば、大抵が家族をうっとうしく感じつつも、一つ屋根の下に暮らしていることが当然で、別れの瞬間がいつか訪れると理解はしていても、そのことを意識していなかったはずだ。「もっと近くにいて素直になればよかった」という彼女の後悔の気持ちに思いを致すと、何気ない日常が当たり前でないということをあらためて考えさせられた。
 また、とりわけ私が心をグッとつかまれたのは、様々な葛藤もあっただろうが、彼女がかつて希望を失った土地に戻り、復興のために奮起し、ふたたびその地を希望の土地へと変化させたところだ。伏菟野には、残された人たちの夢と、愛する人を残していかなければならなかった人たちの思いが共存しているようだ。
 その中で育ったキクラゲを食し、復興を応援したい。

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