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2017.07.14 update.

無敵の笑顔に「いいね!」した。

琉球新報社 | 2017年6月18日掲載

世界中をとりこにする94歳の「おばあちゃんモデル」がいる。伊江島出身の渡久地恵美子さん。普段はどんな人? どうしてモデルに? おしゃれな写真はどうやって撮っているの? 興味は尽きない。恵美子おばあちゃんが暮らす兵庫県伊丹市へ、会いに行ってみた。

■伊江島出身、渡久地恵美子さん

身長140センチちょっと。普段は地味な服装の恵美子さんが“変身”する舞台は、孫の森千波(ちなみ)さん(36)が写真交流アプリ「インスタグラム」で開設しているアカウント「1000wave」で、フォロワー(読者)は3万6千人に上る。記者の周辺だと平均フォロワー数は50~250人、多くて1350人。一般人で3万人超えがいかにすごいか分かる。インスタグラムでの恵美子さんはとにかくフォトジェニック(絵になる被写体)だ。色鮮やかなストールを着こなし、トップモデル顔負けのポージングでばっちり決まっているのだ! 見ているだけで、にやけてくる。こんなすてきな写真が生み出される”スタジオ”とは…? マンション7階にある千波さんの自宅の一室、クローゼットの前がお決まりの撮影場所だ。千波さんは「さをり織りアーティスト」。作品が完成すると恵美子さんにモデルをお願いするという。

■カメラマンは孫娘

千波さんが私服をごそごそと引っ張り出し、恵美子さんをコーディネート。口紅とチークを付けたら、いざ撮影開始だ。スマートフォンを構えた千波さんはモデルを乗せるのがうまい。口をとがらせたり頬を膨らませたりしながら「おばあちゃん、こうしてみて」と指示をする。千波さんが「目を大きく開けて」と言うと、「これ以上開かないよ」と恵美子さん。千波さんはさらに「おばあちゃんならできるよ! 本気出して」と押す。掛け合い漫才のような2人。きゃっきゃと笑い転げ、本当ににぎやかな撮影現場だ。

■写真集も発売

「おばあちゃんモデル」の誕生は2年ほど前。千波さんが「いつまでも一緒にいられるわけじゃないから少しでも近くにいたい」と恵美子さん宅から徒歩3分ほどのところへ引っ越してきたのが始まりだ。「モデルも、おばあちゃんが楽しんでくれたらいいな、という気持ちでお願いしました」と千波さん。2015年のクリスマスに、インスタグラムの公式アカウントで紹介されたのを機にフォロワーがぐんぐん増え、世界中からコメントが寄せられた。国内外のメディアに紹介されたほか、高級ブランドGUCCI(グッチ)のインスタグラム企画にも参加。昨年11月には写真集まで刊行された。

最初は「こんな年寄りがおかしい」と言っていた恵美子さんもすっかり慣れて「その気になっています」とはにかむ。「畑仕事をしていたから男の人みたいで恥ずかしい」と謙遜する手も、写真にいい躍動感を与えている。取材中、恵美子さんは何度も手を握ってくれた。その手は温かくて、なんだかほろりときた。

■こつはいたわり

最後に千波さんに撮影のこつを聞くと「え? そんなん、ないです」と一蹴された。確かに、照明もカメラの設定もさほど工夫は見られない。クローゼットの前で撮るのも、背景を意識したわけではなく「脚が悪いおばあちゃんが寄り掛かれるから」。いたわりと「かわいさを引き出したい」との思いがこつなのかも。

いつまでもあると思うな親と金、そして祖父母と過ごす時間。記者もさっそく千波さんをまね、祖母2人をモデルに撮影してみた。一方は照れまくり、一方はノリノリ。ともかく、おばあちゃんの笑顔は無敵だ、ということは分かった。

★インスタグラム

2010年に登場した画像や短時間動画を投稿し共有するアプリ。ツイッターやフェイスブックとの違いは、写真や動画に特化している点。「おしゃれなSNS」として若者の間に定着し、世界の「セレブ(有名人)」も多く利用している。全世界のユーザー数は7億人を突破した。

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恵美子さんの人生/戦争、夫との死別…そして今の幸せ

恵美子さんは1922(大正11)年生まれで、もともとの名前は阿波根ウト。6人きょうだいの3番目として育った。今年で100歳になる姉が「ハイカラな名前がいい」と提案し、14歳の時に恵美子へ改名したそうだ。

13歳で学校をやめ、親友に付いて和歌山の紡績工場へ出稼ぎに出た。そして19歳、横浜にあった東芝の軍需品工場の食堂で働いていた時に戦争が始まった。毎晩のように空襲警報が鳴り、防空壕へ避難した。「防空壕で顔見知りに会えば『元気だった? 明日も会えるかねぇ?』と言い合っていたよ」と振り返る。

迎えた終戦。「沖縄は玉砕した」と聞き横浜に残るか悩んだが、「故郷を一目見たい」と沖縄へ戻った。出征した下の弟が戦死したが、ほかの家族は無事だった。四つ上の婚約者・政良(せいりょう)さんとの再会も果たして結婚。伊江島の住民が避難していた久志村(現名護市)で約1年暮らした後、ようやく伊江島へ。「島の姿を見たときはぼうぜんとした」と恵美子さん。激しい地上戦で変わり果て、自分の家がどこにあったかも分からない。粗末なテントに政良さんの兄夫婦と3所帯で生活をスタートさせ、戦時中に道路として使われた所を重いツルハシで掘り返して畑に戻したという。

「夫はとても優しい人。けんかをしたこともなかった」と恵美子さん。子宝にも恵まれ、貧しいながら幸せな日々を送っていた一家を、突然の悲劇が襲った。大工だった政良さんが仕事中のけがで破傷風を患い、38歳の若さで急死。5人目の娘がおなかにいるのが分かったのはその後だった。「子どもたちに食べ物だけは十分にやりなさい」。母の言葉を胸に、恵美子さんは懸命に働き5人の娘を育て上げた。当時は戦争で男手を失った家庭も多く、皆で助け合った。漁師だった兄弟たちにも支えられた。

いま、娘は兵庫に2人、沖縄に2人、イギリスに1人。恵美子さんは一時那覇で暮らした後、54歳で兵庫へ移り住んだ。現在一緒に暮らす三女の幸子さんは「母は根は明るいはずだが、昔は冗談を言う余裕もなかったと思う。楽しそうにモデルをしている様子を見ると家族もうれしい」と言う。恵美子さん本人は「夫の倍以上も長生きさせてもらって、モデルを頑張れている。もっといいモデルになりたいですね」と見上げた向上心だった。

この記事でHAPPYな気持ちになったら

VOICE!しーもー 27歳 会社員 沖縄県

まず、渡久地恵美子さんの笑顔が目を引いた。恵美子さんの笑顔から孫の森千波さんとの関係がうかがえる。年をとるにつれ、人はカラフルな色の服を身につけることを避ける。写真に写る恵美子さんは、ビビッドカラーの服に身を包み、笑顔がはじけている。服の色が表情に移ったような錯覚に陥るぐらい、恵美子さんの表情は色とりどりでまぶしい。「こんな風に年をとれたらなぁ」と思った。記事には、恵美子さんの戦争体験や戦後を生きた人生も書かれていた。悲しみや絶望を乗り越えた恵美子さんの顔に刻まれたしわやシミも、表情に色味を加えている。これからどんな時代になるのか不安もあるが、単色になることなく一人一人が自分の色を見つけてカラフルな生き方ができる社会になるようにと願う。

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