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2016.12.20 update.

声を張り上げ成り切る 20歳の女性浪曲師

デーリー東北新聞社 | 2016年11月29日掲載

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「見上げる空に果てしなく~、雲が飛ぶ飛ぶ~、山の村…」。晴れ着姿の浪曲師、国本はる乃(20)が、声を限りにうなると、満員の客席がどよめいた。「すごい!」「声が通るねえ」。期待の新人を励ますように、拍手が湧き起こった。

東京・浅草の木馬亭で9月25日に開かれた「名披露目興行」。前座のはる乃が一本立ちする舞台だ。語ったのは「子別れ峠」。生活苦から生まれたばかりの娘を山村に置き去りにした夫婦が20年ぶりに娘に出会うが、親と名乗れぬまま立ち去る話だ。少女の面影を残すはる乃の熱演に、涙を拭う観客の姿もあった。

▽半年で初舞台

本名は木村はる乃。9歳の時、ベテラン浪曲師国本晴美(はるみ)(78)に入門した。父の悟(61)は、江戸文字職人をしながら鶯春亭(おうしゅんてい)梅八の芸名を持つアマチュア落語家。娘に三味線を習わせようと、旧知の晴美の元に連れて行ったのだ。

「手が小さくて、まだ三味線を持てないから、お歌から始めましょう」。師匠の晴美はこう言って、孫のような女の子に初めから浪曲を教えた。

「三味線を持てたとしても、師匠は浪曲をやらせたと思う。私を浪曲師にしたいと思っていたようだから」とはる乃。後継者不足の浪曲界は、新人を渇望していた。

毎週末、父や母が運転する車で茨城県稲敷市の自宅から10分ほどの師匠宅に通った。稽古は午前10時から2時間。おなかをぐっと押されながら「大きな声を出して」と指導を受けた。「子どもだったので嫌々、稽古に行っていた。汗びっしょりかいて、終わると、おなかがすく。最初は腹筋が痛くなったこともある」

入門から半年たった2005年10月、覚えたての話「秋色桜(しゅうしきざくら)」を成田山新勝寺の奉納演芸会で披露する。「緊張で頭が真っ白になった」(はる乃)という初舞台。時々、せりふを忘れて「何だっけ」と言うしぐさがかわいらしく、集まったお年寄りに大受けした。

▽録音から学ぶ

はる乃は13年12月から、浪曲の定席、木馬亭に前座で出演するようになる。浪曲を好きになれずにいたが、先輩が師匠や自身の舞台を録音して聴くのを見て、まねたことが転機になった。

「自分の舞台を聴いたら、こんなに下手だったのかと気付いた」とはる乃は言う。「地元の人たちからは、いつも褒められていた。『私はできるんだ』と思っていたので、がっくりしてしまって…」

師匠の口演を収録したカセットテープの音をボイスレコーダーに移し、自宅と木馬亭との行き帰りに聴いた。「音だけでも、こんなにすごい表現ができるのか」と心が震えた。過去の名手たちの録音も聴き、いろんな節回しを覚えた。木馬亭で、その節を語ると、先輩たちから「良くなってきたねえ」と言われた。

「浪曲が面白いと思うようになったのは、その頃から。舞台で語るのが本当に好きになった」とはる乃は目を輝かせる。

▽心の底から声

広沢虎造の清水次郎長伝(しみずのじろちょうでん)や玉川勝太郎の天保水滸伝(てんぽうすいこでん)などが一世を風靡(ふうび)し、戦前から1950年代まで演芸の王様と評された浪曲。だが、テレビの普及などで人気に陰りが出て、衰退していった。

そんな逆風の中、孤軍奮闘して浪曲界をけん引してきたのが、晴美の息子、国本武春だった。NHKの子ども番組出演で注目された武春は、三味線の弾き語りでロックを演奏し、ミュージカルの舞台にも立った。「うなるカリスマ!」と呼ばれ、浪曲ファン以外にも人気を広げたが、昨年12月、脳出血で倒れ急逝した。55歳だった。ここ数年、新人の入門が相次ぎ、中堅も育って人気復活の兆しが見え始めた時の大黒柱の死。浪曲界が受けた衝撃は計り知れなかった。

「武春が亡くなって1カ月ぐらいは、泣いて、泣いて…。ついには転んで腕を折ってしまった」と晴美は語る。その悲しみが、弟子はる乃への思いにつながる。「はるちゃんは、息子と干支(えと)が同じで、ねずみ年。武春みたいに売れて出世してくれることを願っている」

名披露目興行の口上で、日本浪曲協会会長の富士路子は、白無垢(むく)姿で頭を下げるはる乃を見ながら、「せがれが、かわいいお嫁さんをもらったような気分。名披露目できることは本当にありがたく、浪曲協会にとってもおめでたい限り」と、期待の高さをにじませた。

晴美が、日頃から、はる乃に厳しく言っているのが「登場人物に成り切れ」ということだ。

「子別れ峠」の最終場面。峠を去った旅の夫婦が実の親だと知った娘は、「お父さ~ん」「お母さ~ん」と心の底から声を張り上げる。

舞台のはる乃の姿が、同じ20歳という設定の娘の姿と重なって見えた。師匠の教え通り、登場人物に成り切った瞬間だった。

(敬称略、文・藤原聡、写真・堀誠、藤井保政)

◎人気復活の鍵握る逸材

「喉を痛めたこと、ないんです」。国本はる乃が師匠宅で稽古するのを取材した時、こう話したので驚いた。窓ガラスが震えるような、大きいうなり声を聴いた直後だったからだ。

弱冠20歳ながら芸歴は11年以上になる。小さい頃から鍛錬を続け、この話芸に体がなじんでいるのだと実感した。

先輩の女性浪曲師、玉川奈々福は「まさに伸び盛り。今は浪曲の魅力に開眼し、夢中になっているのだと思う」と話す。

奈々福や春野恵子らは、さまざまな企画公演を開催。新作や英語浪曲にも取り組み、新たなファン開拓に奮闘している。

はる乃は今、古典の演目を増やしているが、いずれ現代の聴衆に訴える企画公演や新作にも挑戦するだろう。浪曲の人気復活の鍵を握る逸材の成長に期待したい。(敬称略)

 

【写真】名披露目興行を前に、師匠の国本晴美(右)の自宅で稽古をつけてもらう国本はる乃。部屋には息子の国本武春のポスターが張られている。三味線は浪曲師の澤順子=千葉県成田市

【写真】名披露目興行で「子別れ峠」を熱演する国本はる乃。「緊張して泣きそう」と話していたが、三味線が鳴り始めると、堂々と舞台を務めた=東京・浅草の木馬亭

毎週火曜日掲載%e3%83%87%e3%83%bc%e3%83%aa%e3%83%bc%e6%9d%b1%e5%8c%972016_11_29_09%e3%83%88%e3%83%aa%e3%83%9f%e3%83%b3%e3%82%b0%e6%b8%88%e3%81%bf

この記事でHAPPYな気持ちになったら

VOICE!しろちゃん 22歳 大学生 青森県

この記事を読んだおかげで、浪曲についてすこし興味がわきました。日本には、浪曲のような古くから伝わる伝統が多くあります。後継者不足等で衰退してしまうことも少なからずある中で、こうして若い人が先頭に立って盛り上げていくことは非常に大切なことだと感じました。また、国本はる乃さんが自分の舞台を聴いて、改善しようと努力したことが印象に残りました。「自分の舞台を聴いたら、こんなに下手だったのかと気付いた」とありましたが、そこでそのままにしていないで、師匠だけでなく過去の名手たちの録音を聴いたり、いろんな節回しを覚えたり、努力をしようと思うことが素晴らしいと感じました。私もはる乃さんを見習って、できないことをそのままにせず、努力をして、完璧にとまではいかなくても、良い方向に持っていけるように頑張りたいです。

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